きんぐこんぐの『彼』

今の「彼ら」ではなく「彼」のままでは来年も同じ結果になるだろう、とブログを見て思った。

あなた達のネタは7年も認められているのにまだ上を目指そうとしている。

その向上心は認めるが、『その前に見直すもの(自らのツッコミ)を見つけるのがいつか』で2008年の彼らの漫才が決まるんじゃないかな?

昨日の決勝2本を見ていてどのコンビを見てもネタの精度は上を行っていた。優勝した2人のネタよりも。しかし、それを彼らは腕でカバーしている。だから、あの日一番面白かったのだ。

相方も、所詮ポスト・ナイナイ岡村ではなくやっとキンコン・梶原をつかめたボケだった。なのに、彼は気持ちを前面にむき出しすぎて相方を引きずってしまったかもしれない。

ふと、彼らの昔の漫才を見たくなって調べて2001年のTHE MANZAIを見つけたのだけど、昨日のネタと比べても釣り合ってしまった。2001年の彼は楽しそうに漫才をしていた。その楽しさを来年の12月に取り戻せば屈辱を払えるのかもしれない。


そして「彼」は・・・


『気付き、取り戻せたら屈辱を払拭できるだろう・・・』


その日が来た。誰もが待っていたか彼は同じ舞台に立った。
だが、そのときではなかった。彼が気付いたことは違うことだった。一番落ち着いたところでは、向上心はなにも働かない。

そして今は違う。彼は気付けていない。時代の流れなんて、ない。流れとは自分で作るものだ。その流れを彼らは8年前に作った。そして大きなものを手に入れた。

しかし、その流れは一度やめたとき緩やかになり、1年前のあの日とうとう自分の力で動かせず惰性になり流れを作ろうとも動かず、その日ピタリと完全に止まった。


『いや、彼自らが止めてしまった。』


優勝した彼らは今年、自らで新しい流れを作りはじめ(作り直したが正しい)、その日、作ったものはちゃんと流れていることを彼に証明して見せた・・・驚くほど見事に。

時代の流れとは毎年、いや毎秒刻々と変わるものだ。その流れをどう受け入れるか、どう見直すかを彼にどのように映っているのだろうか。